場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

パレスチナとイスラエルについてのよくある誤解

パレスチナとイスラエルの問題についてよく言われていて、かつ間違った認識について例を挙げて自分なりの反論をしてみた。

とにかくハマスが悪い

2023年10月7日のハマースによる攻撃から全てが始まったかのように語る人は多い。そうではないと説明してもしても限りなく湧いてくる。人の話を全く聞かない。私はこの手の輩を「妖怪ハマスガー」と呼んでいる。

そもそもイスラエルは、外から来た入植者たちが元いた人たちを虐殺したり追い出したりして作った国だ。それから70年以上ずっと、先住民であるパレスチナ人を殺し、抑圧し続けた。
特にガザ地区では、狭い土地に人間を囲って出られなくした。その逃げられない土地に度重なる空爆。その度に大勢の死傷者が出ている。世界でも類を見ない恐ろしい人権侵害がずっと起こっていたのをずっと無視しておいて、イスラエルが被害を受けたときだけ急に出てきて残虐だなんだと言い始める人たちは一体なんなんだろう。

10月7日の攻撃は、ずっと続いていた虐殺と人権侵害に対する報復である。イスラエルはいつでも先に攻撃して、反撃されたら被害者面をする。そして西側はいつもその言い分を鵜呑みにし、イスラエルが攻撃されるとそこを起点として話を始める。10月7日以前からずっとそうだった。

ちなみに私はハマース支持でも不支持でもない。ハマースの是非を判断するのはパレスチナの人たちであるべきで、私にその資格はない。
当然ハマースにだって問題もいろいろあるだろう。でも、全く話の通じない恐ろしいテロ組織、というイメージは間違っている。そもそも軍事部門はハマースの一部でしかないし。

確実に言えるのは、ハマースとイスラエルどっちが悪かって言ったらそれは間違いなくイスラエルだってこと。イスラエルによる侵略が一番先にあって、それがなければハマースも存在しない。それなのにイスラエルのほうがまともに見えてしまう人は、元々非白人あるいはイスラム教徒に対する強い偏見があるんだろう。それが公平な味方をするのを妨げている。

イスラエル/パレスチナ問題は複雑な宗教問題である

だから関係ない日本人が口を出すべきじゃない、がこれに続く。
これは何もかもが間違った見方だ。この問題は全く複雑じゃないし、宗教問題でもないし、日本も無関係ではない。イスラエルは宗教を口実にはしているが、これは単なる口実に過ぎない。イスラエル人とパレスチナ人は入職型植民地の加害者と被害者だ。なお、パレスチナ人にはイスラム教徒が多いが、キリスト教徒もいる。
この問題については過去に記事を書いた。


イスラエルは同情すべき国である

これはいわゆるネット右翼よりは欧米リベラルとその影響を強く受けた人たちがよく言っていること。イスラエルは迫害されてきたユダヤ人がやっとの思いで作った国である。そして今も敵に囲まれていて生存の危うい、弱い哀れな国なのだ。だから批判すべきではない。ユダヤ人にはあの土地に自分の国家を持つ権利があるという。

ユダヤ人がヨーロッパで迫害されてきた、そのことをもって、ヨーロッパとは別の場所で、何も関係ない人たちを追い出して自分たちの国を作るのがどうして正当化されるんだろう。この土地の先住民はユダヤ人を迫害していたわけでもないのに。

多分かれらはどこかでアラブ人を見下しているんだろう。同じ権利を持った人間として見ていない。ヨーロッパ白人にしか目が向いていない。でもそのことには無自覚で、自分では被差別属性の人に思いを寄せているつもりなところが厄介。

ドイツが本当にユダヤ人の迫害を反省しているなら、ドイツの一部を譲ってそこにユダヤ人の国を作ればいい。でも決してそうしようとはしない。自分たちがやったことのツケをパレスチナ人に払わせながら、パレスチナ人が抵抗すると「反ユダヤ主義者」呼ばわりする。

ちなみに、アメリカはそんなにイスラエルが好きなら、イスラエルはアメリカの土地の一部に作ればいい、と言っている人も一部にいるが、私はそれには絶対反対。
アメリカがそもそもどうやってできた国か思い出して欲しい。アメリカはイスラエルと同じ、先住民を排除して作った国だ。イスラエルに分け与えるような土地があるなら、まずは先住民に返すべきだろう。


パレスチナとイスラエルには2千年前からの因縁がある

パレスチナ人ではなくイスラエル人こそがこの土地の先住民であり、かれらは奪われた自分たちの土地を取り戻しただけ、という主張。
この主張をする人たちがハマスガーより厄介なのは、自分が人よりこの問題に詳しいと思っているところ。イスラエルを批判している人たちはこういう議論を知らないから批判しているんだ、とかれらは思っているようだ。イスラエルを批判している人の多くは、正当化の理論としてシオニストがこういう主張をしているのを知った上で、それがおかしいと言っているんだと思うが。

そもそも2000年前は自分たちの土地だったからこの土地は自分たちのもの、なんて大昔の話すぎて通らない理屈だ。イスラエル以外でそんなことを言う人間がいたら一笑に付されるだけだろう。しかもその無理な理由すら嘘。大昔に遡っても、イスラエル人はあの土地の先住民ではない。

「ユダヤ人」という宗教と民族をごっちゃにしたような呼称がこういう誤解を生んでいるんだと思う。ユダヤ人というのは本人あるいは親などがユダヤ教の信者という、それだけの意味だ。だからユダヤ人の出自は様々で、ヨーロッパ系もアラブ系もアフリカ系もいる。
イスラエルを作る中心となり、今も国の中枢にいるヨーロッパ系ユダヤ人(アシュケナージ)はヨーロッパ出身のヨーロッパ人で、パレスチナにルーツがあるわけではない。現在ユダヤ教徒なのは、ある時期に先祖が改修したから。

「ユダヤ人」と呼ばれる人々が大昔にあの土地から追い出されてヨーロッパに来た、と誤解している人が少なからずいるけど全然違うから。神話と歴史上の話をごっちゃにしないでほしい。

じゃあ元々いたユダヤ人はどこに行ったのかといえば、ずっとあの土地にいた。イスラム教なりキリスト教なりに改修して。それがパレスチナ人。
イスラエルのユダヤ人にも、古代ユダヤ人の子孫はいるだろう。アラブ系のユダヤ人はそうだと思う。そしてアラブ系ユダヤ人はイスラエル国内で、ヨーロッパから来た新参者のユダヤ教徒よりも低い地位に置かれている。由緒正しきユダヤ人として尊重されているわけではない。

この問題についてわかりやすく説明したNoteがあったので、まだ読んでいない方はこちらも是非。

【小ネタ】もし中東の3大宗教が携帯電話キャリアだったら【イスラエル問題】|bReCaG48

 

大半のイスラエル人は虐殺反対なのにネタニヤフが暴走している

「よくある」誤解とは言えないけど、こういうことを主張している良心的リベラル派の人は時々見るので。

残念ながら、これはダウト。
確かにイスラエル国内でネタニヤフに抗議する人は多い。でもかれらはあくまでも「反ネタニヤフ」なだけ。パレスチナ人に対する軍事行動自体はユダヤ系イスラエル人の8割が賛成しているというデータがある。

もちろんユダヤ系イスラエル人全員がそうだというわけではないし、心から虐殺に反対している人も1割くらいはいるだろう。
ただ、ほとんどのイスラエル人は善良な人たちで、ネタニヤフとごく一部のタカ派だけが暴走している、という見方は明らかな間違いだ。ごく一部の反シオニストは「普通のイスラエル人」から攻撃されて国に居づらくなり、出ていったりするので国民がますます先鋭化していっている。
ネタニヤフはイスラエルの中でもタカ派ではあるが、決して特異な存在ではない。国の由来から考えて、出るべくして出た政治家だ。


パレスチナについて理解を深めるために読んだほうがいい本

私がこれまでに読んだ本の中で、こうした誤解を解くために有効でおすすめな本を挙げてみる。独断と偏見に基づき、読みやすさを星5つまでで表現してみた。

早尾 貴紀『イスラエルについて知っておきたい30のこと』
読みやすさ ★★★★★
まずはこれ。大変わかりやすく、誤解は大体解ける。この記事で挙げているものなんかはほぼ全て。ただし特に読むべき人(デマをばらまいている人、和製シオニスト)ほどこの本を読まないのが一番の問題。

イラン・パペ『イスラエルに関する十の神話』
読みやすさ ★★★★
著者はイスラエル人で反シオニストの歴史学者。シオニズムは植民地主義ではない、イスラエルは民主主義国家である、などのよくある誤解について細かく反論していく形式。

サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ: パレスチナの政治経済学』 
読みやすさ ★★★
著者はユダヤ人でガザ地区の専門家。ガザ地区がどのようにして発展を妨げられているのかが詳しく述べられている。一部リベラルにも評価されているオスロ合意の欺瞞についてもよくわかる内容。

ヤコヴ・M.ラブキン『イスラエルとは何か』
読みやすさ ★★★
著者は敬虔なユダヤ教徒。イスラエルは世俗的な人々が作り出した国家であり、シオニズムはユダヤ教の教義に反している、といったことを語っている。イスラエルをユダヤ人の象徴とし、反イスラエルを反ユダヤと同一視するような言説がいかに誤っているかを示す本。

高橋真樹『ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち』
読みやすさ ★★★★★
『イスラエルについて知っておきたい30のこと』と同じく、イスラエル/パレスチナ問題の入門書的な位置づけの本。特に、ホロコースト犠牲者がなぜパレスチナ人を迫害するのかについてのコラムは必見。

岡真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』
読みやすさ ★★★★★
2023年10月に行われた緊急講義が本にまとめられたもの。この問題の歴史的経緯や10月7日以前のイスラエルの加害行為などについて述べられている。

エドワード・サイード『イスラム報道』
読みやすさ ★★
パレスチナだけでなくイスラム関係の報道全般のバイアスについて述べられた本だが、著者はパレスチナ出身のため、パレスチナについて触れられている箇所は多め。イスラム教、イスラム世界について自分が持っている偏見と向き合うきっかけにもなる。

尊王リベラルの愛子天皇待望論

「リベラル」が皇室典範の改正がどうのこうので騒いでいる。愛子が天皇になれないなんておかしいと熱弁していたり。養子問題に関するかれらの意見は血統主義丸出し。私は大変しらけた気持ちでこれを見ている。

なんでこの人たちは天皇制の是非そのものには踏み込もうとしないんだろう。普段人権が大事だの平等が大事だのと言ってるくせに。本当にがっかりする。

天皇制は身分制であって、生まれながらに高貴な人がいるというのを認めている制度だ。女性が天皇になれないのはおかしいと言うが、それ以前に、女性であろうが男性であろうがその家に生まれないと天皇にはなれない。
天皇や皇族の生活費は税金で賄われている。困っている人の生活保護はケチるくせに、天皇・皇族に対する出費は惜しまれない。かれらがニュースに出てくると、「◯◯様は◯◯されました」と最上級の敬語が使われる。どの局も例外なく。気持ち悪いことこの上ないのだが、これに疑問を持つ人は少ないようだ。
「リベラル」も愛子「様」愛子「様」って。普段平等問題について考えてます風のこと言っといてこれって、情けなくないのかな。

天皇制なんて打倒一択だろう。女がなれないとかクソどうでもいい。女性天皇が認められようが、天皇制が身分差別制度であるという根本問題は何も解決してないから。リーンインフェミニズムでしょうがこんなもん。

日本の天皇制が問題なら、イギリスやスウェーデンなどの王制どうなるの、って言う人も時々いる。
もちろん、私はこれらの国もしょうもないものを残している遅れた国だと思っている。自称先進国だけれども。そしてそれも廃止されてほしいとも願っている。
ただ、私は日本人なので外国の王政よりも日本の天皇制を優先的に話題に出す。王政はそっちの国の廃止論者に任せておけばいいので。

『夫婦別姓刑事』のトラブルのこと

ドラマ『夫婦別姓刑事』で佐藤二朗と橋本愛の間にトラブルがあったと週刊誌に報道され、そこから橋本愛が叩かれる事態に陥っている。叩いているのは主にネット右翼やミソジニスト。佐藤二朗を批判する人もいるが橋本愛叩きの方が多い。過去のことをいろいろあげつらったり、橋本愛のSNSにまで突撃してクソリプを飛ばしているらしい。

橋本愛は普段から平和や人権やフェミニズムに関する発信をしており、多分現政権を支持していない。それが気に入らなくて今回ここぞとばかりに叩いている人が大勢いるようだ。
芸能人が左派的発言をするとこんなに叩かれるんだ。そりゃみんな萎縮するよな。

野木亜紀子がTwitterで台本にない身体接触NGは別に珍しいことではない、と丁寧に説明していたが、それにもクソリプが。佐藤二朗のことも別に責めてないのに。文章をよく読んでいないんじゃなかろうか。リプするなら文章を隅から隅まで読んでから、というのが最低限の礼儀だと思うが。

佐藤二朗がパワハラ常習者だとかセクハラ野郎だとか言うつもりはない。普段どうなのか知らないし、今回問題にされているのはセクハラではないし。
ただ、ひとつだけわかっていることは、佐藤二朗が橋本愛の楽屋に乗り込んで「それなら役者をやめた方がいい」と言ったということ。これは佐藤二朗本人が書いているから事実だろう。で、この一件に関して言えば良くないことだしパワハラと取られても文句は言えないだろう。これを親切なアドバイスと取る人もいるようだけど、大分古い考えなんじゃなかろうか。
これがパワハラにあたるとしても松本や中居ほど悪質なことをしたわけではないし、これで俳優を辞めるようなことにならないといいな、とは思っている。私が問題だと思っているのは佐藤二朗本人よりも、佐藤二朗を応援している振りをして橋本愛を叩いている人たち。

佐藤二朗は大分変なのを味方につけてしまったと思う。人権もコンプラも軽視したい、生意気な女を黙らせたいという強い意志が感じられる人たち。そのほとんどは佐藤二朗のことが好きなわけでもなさそう。本人のイメージまで悪くなるし、これは佐藤二朗にとってもプラスにはならないんじゃないだろうか。

最後に余談。『夫婦別姓刑事』というタイトルについて、ドラマ開始前から結構な数のネット右翼が騒いでいたのを見た。夫婦別姓を推進するためのドラマじゃないか、けしからん、みたいに言って。
全然関係ないから。このドラマを企画したの秋元康だし、あの人がそんなこと考えてるわけないじゃないか。
この人たちは、橋本愛が「夫婦別姓が実現するまでは結婚しない」と過去に発言していたらしいことも非難しているようだけど、何が悪いんだろう。私も同じ発言したことあるが。
夫婦別姓制度が導入されたとしても、夫婦別姓を強制しているわけでは全くない。全員夫婦同姓を強制されている状態から夫婦別姓も選べるようにしましょうというだけ。お前が夫婦別姓にしたくなければしなきゃいい。夫婦同姓なんて日本の伝統でもなんでもないし、何が気に入らないのかさっぱりわからん。

生成AIについて思うこと

私は生成AIに対してあまり良い印象は持っていない。
 
一番気になっているのは電力の問題。生成AIの電力消費量は既存の諸々のシステムとは桁違いに多いらしい。
医療など必要なことで役立てるならそれは良いことだと思うのだが、自分で描けないから、あるいは描くのが面倒だからという理由で生成AIで絵を生成したりするのは本当につまらない電力の浪費でしかなくて、正直腹立たしい。

電力消費量の多さへの批判について、AIの絵は一瞬で生成できるので時間をかけて自分で描くより電力を使わないなどという反論? が出ているのを見て、あまりの分かっていなさに呆れてしまった。それともわざとボケているのだろうか。手元のパソコンあるいはタブレットなどだけ見ていればその通りだけど、大量の電力を消費しているのはデータセンターなのだが。

AI推進派のチームみらいはAIによる電力需要の拡大に対応するため、原子力を活用しようという主張をしているらしい。この党は最近支持を拡大しているが、私は警戒している。

電力の問題以外にも気になっていることはいろいろある。

生成AIは決して無から何かを生み出しているわけではなく、学習元が存在する。人の創作物のキメラを生成しているだけなので、著作権侵害にもなり得る。こんなもので自分で何かを創作したような気になってしまう人間が決して少なくはない数で存在するのが不思議だし不気味だ。学習元が存在しなければ何も作れないのに、学習元への敬意も無い人が多いようだし。

生成AIは簡単にクオリティの高い絵が作れる、と言う人も多い。が、生成AIで作られたもののクオリティが高いとは私は思えない。パッと見ではクオリティが高そうに見える、ならわかる。

例えば、AI絵にはわかりやすい特徴がある。一見すると綺麗に整ってはいるのだが、よく見るとどこか歪なのだ。このくらいの画力の人間なら当然持っているはずの「絵の全体を整える力」が無いというか。手の形が変だったり、同じ顔の人間がずらっと並んでいたり、遠近感がおかしかったり。
全部を判別できているわけではないだろうが、絵に詳しくない私でも「これは生成AIが描いた絵だな」とわかることがよくある。自分で絵を描く人ならなおさらこういう絵の歪さがよくわかるだろう。
change.org(署名サイト)の見出し画像に明らかに生成AIで描かれた絵を持ってきているのを見ることが多くなってきたけど、絶対やめた方がいいと思う。主張自体には賛成できても、生成AIの絵を使っていることに抵抗を感じて署名をためらう人はそれなりにいるだろう。少なくとも私はそう。
 
文章についても同じ。生成AIで作られたものは一見綺麗に整っているように見えるが、よく読むと違和感がある。無感情で無個性で、読んでいて本当につまらない文章。しれっともっともらしく嘘を書いてくることもよくあるし。そのまま出すな、せめて手直しくらいしろと思う。

AIの書いた文章が人間の書いた文章より上手く見える人もいるみたいだけど、多分そういう人は文章を読むのが好きじゃないんだろうな。ある程度整っているように見えるだけの文章だったら、文章を書く習慣がある人間は書こうと思えば書ける。でもそんな文章はつまらないから、敢えて少し崩した文体にしたりするんじゃないか。上手い人が書いた文章はちゃんと面白い。多くの人につまらない、味気ないと感じさせるような文章が上手い文章のわけがないだろう。
最近は、特にnoteで明らかに生成AI製の文章が増えたように感じる。読んでしまって途中でそれだと気付くと、時間返せと思う。初めからAIで書きましたって宣言しといてくれればいいのに。

こうやって生成AIに作らせたものをネット上で公開してる人って何が楽しくてやっているんだろう。金稼ぎ目的ならまあ、感心はしないがまだわかる。そうでない場合。
私がブログを書くのは吐き出したい感情があるからだ。絵を描く人や小説を描く人だったら、自分が生み出したものを見てもらいたくて公開するんじゃないんだろうか。自分で描いた、あるいは書いたわけでもないものを人に見せて何の意味があるんだろう。小説に関しては特にそう思う。
下手でもいいから自分で作った方が達成感も得られるのにな。続けていれば本人比で上達はするし、何より無駄な電力も使わなくて済む。

私と同じように生成AI製のものを見せられるのにうんざりしている人は多いだろう。一部の人が考えているほど生成AIは万能じゃないと思う。

ドラマ『時計館の殺人』感想

ネタバレあり。

メチャクチャ怖かった。ビビリな私の感覚では、もはやホラー。前作の『十角館の殺人』はそこまで怖くなかったので同じようなもんだろうと油断していたら、怖さレベルが数段階上がっていた。ついでにセットも前作より大分パワーアップしていた。かなりお金がかかっていそう。

犯人について。
私が単純だからなのか、多分作り手の思惑通りの人を疑ってしまった。最初は霊媒師の光明寺さんが怪しいと思い、作中で疑われ始めたので「ほな違うかー」となり、次に永遠の弟の由季弥にロックオン。これはかなり自信があったのだが、瓜生が由季弥を疑い出した時点で「あれ?」となり、島田(鹿谷)がブランデーを飲んだあと急に眠気を催したところでやっと真犯人に気付いた。遅い!
この犯人と動機、タイトルは忘れてしまったが20年ほど前にやったフリーゲームでも似たようなのがあって、それを思い出してしまった。洋館が舞台でお手伝いさんが犯人で、不注意で自分の娘を死なせてしまった学生たちに数年の時を経て復讐する話。こっちはこんな大掛かりな仕掛けもトリックもないし、ゲームなので誰も死なないエンディングにもできるけど。

それにしても、犯人の行動力と体力がすごい。十角館も体力ありきのトリックだったけど、あっちは若者だったのでまだわかる。時計館の犯人は中年女性だからな。頑張ったね。要らん頑張りだけど。
あと殺しすぎ。まるっきり無関係な人たちまで。小早川さんが特にかわいそう。恐怖のあまりおかしくなってしまっていたし、殺され方も一番痛々しかった。小早川さんはあまり感じの良い人としては描かれていなかったが、ビビリまくって取り乱してしまうところが人間らしくて良かった。逆になんで江南はあの状況であそこまで冷静でいられるんだ。メンタルどうなってるの。

十角館の犯人も逆恨みで酷かったけど、こっちはさらに理不尽だ。自分が娘を失って苦しかったように、巻き添えで殺された人たちにもその死を悲しむ親類や友人などがいるだろうに。
ただ、犯人に下手に同情させないという意味では、こういう描き方で正解なのかもしれない。復讐のために殺人を犯す奴なんてロクなもんじゃないよ、というメッセージが込められているのだとしたら。
でも一番おかしいのは古峨倫典かな。なんなのあの人。しかもロリコンだし。

最後に余談。時代設定が昔だからなのか、喫煙シーンがやたらと多かった。年齢的には全く問題ないことはわかっていても、鈴木福の喫煙シーンに少しビックリしてしまった。

私が洋画を観なくなった理由

日本人の洋画離れが進んできているという。映画の興行収入ランキングのトップ10に洋画が1本も入らないという、一昔前なら考えられなかった現象も起きている。

私も昔は洋画をいろいろ見ていたが、今はほとんど見なくなった。逆に中国映画や韓国映画を観ることは昔より増えた。
洋画離れは問題である、もっと洋画を見よう、と言う人もいるが私は洋画離れを決して悪い現象だとは思わない。むしろ良い変化ではないかと思っている。

洋画離れの理由については、いろいろな分析がされている。そしてそれは私の実感と違うものも多い。人によって理由は様々だろうが、私個人の洋画離れの理由を書いてみる。

右翼層が洋画離れの原因を「ポリコレ疲れ」と分析しているのをよく見るけれど、私の場合はむしろ逆で、白人中心の映画にうんざりしてきてしまい、洋画を避けるようになった。
「ポリコレの影響で白人の活躍が少なくなった」と言われるけど、今でも大作映画の主役は白人が多い。脇役まで見たらいろいろな人種がいるのかもしれないけど。
ハリウッド映画全盛期を振り返ると、エディ・マーフィーやウーピー・ゴールドバーグのような主役級のアフリカ系スターもいた。むしろ今そういう人はいるのだろうか。すっかり離れてしまったので詳しい勢力図は知らないが。

アフリカ系はまだマシだけど、アジア系が主役のものは本当に少ないと思う。つい最近作られたNetflix版「三体」でも元々中国人の主人公が白人に変更されていた。Netflix版「三体」にはいろいろな人種が出てきて多様性がある、という意見の人もいるけど、甘すぎる。脇役で非白人を出して「配慮」してますというポーズをとっているだけ。ここで重要なのは「主役」が白人ということ。

私は自分と近しい系統の人たちが活躍する映画が観たいので、日本や中国・韓国のものを中心に観る。今は他の選択肢もたくさんあるのにわざわざ洋画を選ぶ理由がない。この「他の選択肢がある」というところが私に限らず世間一般の洋画離れの特に大きなポイントじゃないだろうか。

そして、ハリウッドはシオニストの巣窟であるという問題。昔からそうだったけど最近強くこのことを意識するようになった。制作者にも監督にも俳優にもシオニストが多いので、あの人もこの人もそうなのかな、と思うと楽しめないし、そういうところに金を落としたくない。
欧米の映画は進歩的である、だから私はアジアのエンタメを観なくなった、などと言う「リベラル」もたまにいるが、欧米のエンタメが進歩的であるというのは眉唾物である。多少は変わってきたとは言え今も白人中心だし。イスラム教に対する偏見をこれまでばらまいてきたのはハリウッド。何を大事にしているかが異なるだけで、偏見も差別もあるのは欧米の映画だろうがアジア映画だろうが変わらない。欧米を過大評価する傾向にあるのが「リベラル」の悪癖だと私は思う(なお、私はリベラルではなく左翼を自認しており、リベラルと左翼はまったくの別物だと考えている)。

最後に、自分の実感も含めて世間一般の洋画離れの原因を考えてみると、西洋や白人への憧れが薄れてきた、ということではないかと。そして欧米以外のエンタメのクオリティが上がってきて選択肢が増え、一極集中しなくなったこと。実際、中国や韓国のドラマ・映画を好む層の割合は昔より増えているし。

「洋画」を観る人が減ったことだけをもって日本人が内向きになった、と断じるのは古臭くて狭い思考だ。世間の洋画離れを嘆いていて、かつ自分は洋画ばかり見ているタイプの人こそ、もっと視野を広げて中国映画、インド映画、韓国映画を試しに観てみたらいいのに。レベル高いから。面白いから。観もしないでハリウッド映画以下と決めつけるなんて、それこそもったいないことをしている。

 

トランプの「イラン人は動物」発言について

トランプが「イラン人は動物だから攻撃しても戦争犯罪には当たらない」と発言したらしい。イスラエルがパレスチナ人を「人間動物」呼ばわりしたのと同じ発想だ。動物なら殺していいのか、という疑問も湧いてくる。

トランプのこの発言は確かにひどい 邪悪だ。
ただ、イラン攻撃を支持している人間の本音は皆トランプと同じだろう。イラン人が同じ権利を持つ人間で、自分たちと同じように尊い命だと思っていたら支持などできるはずないので。
トランプはある意味正直すぎるのだ。邪悪な本音をわかりやすく曝け出してくれていっそ清々しいとすら感じる。当然のようにメチャクチャ批判されているし、本人も覚悟の上だっただろう。
むしろこれをイラン人を解放するためとか女性たちのためなどと言って正当化する人間の方が吐き気がする偽善者だ。

そして「リベラル」の中にもこういう偽善者はいる。「アメリカの攻撃はひどいが、それはそれとしてイランの独裁体制のことも同時に批判しなければならない」みたいな物言いをする人たち。かれらが「独裁体制」として批判するのって、ロシアだったり、中国だったり、朝鮮民主主義人民共和国だったり、あとはイラン、ベネズエラ、たまにキューバだったりで、かなり独裁的なサウジアラビアのことはあまり問題にしない。かれらの批判対象になっている国の共通点を見ればわかるけど、大体はアメリカに都合の悪い国。
イランの体制云々言ってるけど、本当にイランの人のことを考えているようにも見えない。考えていたらまずはアメリカ主導のイランに対する経済制裁については問題視するはずだけど、そんなことはしない。
要はいわゆる西側に属さない国が気に入らないだけ。多分本人らは無自覚で、純粋な正義感からの批判のつもりでいるのだろうとは思うけど。
西側の一員でもイスラエルのことは流石に酷すぎるのでここ数年で「リベラル」からも批判されるようにはなった。が、2023年以前はこれもスルーだったのは覚えている。

ちなみに私は左翼と「西側リベラル」は全く別のものとして認識している。所謂「リベラル」系でない左派の人の中にはイランに対する経済制裁にもイスラエルのことについても前々から批判していた人はたくさんいた。上に書いたのは「リベラル」に対する批判である。

なお、どうやらアメリカとイランの停戦合意がなされたようだ。とりあえずは良かった。

『北方謙三 水滸伝』と暴力の話

スカパー経由でwowow に入ると安いよ、というキャンペーンをちょうどやっていて、一時的に加入したので、大々的に宣伝していた『北方謙三 水滸伝』のドラマを見てみた。

すごく気合を入れて作っているのは伝わったし、出来は悪くないと思うんだけど、モヤモヤするポイントがいろいろあったのでここに吐き出しておく。主にこの世界における命の軽さについて。
他の人の感想を見た感じでは、多分こんなこと思っているのは私だけか、他にいたとしてもごく少数なんだろうと思う。ちなみに北方謙三の原作も原典も未読。

まず、私が『水滸伝』(原典)について抱いていたイメージは、108人全員ヤクザで、しょうもない理由で簡単に人を殺す、誰もまともな倫理観を持っていない、というもの。ほぼ大学時代の中国文学の先生の受け売り。
それに比べて北方版は大分マイルドになっている、そしてかれらをちゃんとヒーローとして描いていると聞いた。
でも実際見てみて、やっぱり北方版の奴らも充分ヤクザだわ、と私は思った。

気になったポイントを振り返ってみる。


第一話の最初から晁蓋一味の略奪行為。ついでに殺人。
私腹を肥やしている役人への当てつけのつもりなんだろうけど、これで一番被害を受けるのは権力者ではなくて運ばされている末端の人たちだ。これで義賊扱いされる理由がよくわからん。
原作読んだら納得できるんだろうか。劇中では語られていないけど、この利益を民に分配したりしてるのか?
……と思っていたら、第6話あたりで晁蓋が略奪した分の分け前をこれから民に分配するつもりだと言っていた=まだ分配していなかったということになる。
だったら義賊扱いされていたのは本当になんで? 自分がなんの利益も受けないのに庶民がありがたがるか? 腐敗したお上と同じように、自分たちの血税から生み出されたものを横から掠め取って自分のものにした悪党扱いにしかならないのでは?

同じく第一話で林冲が役人を殺して捕えられたが、あれ別に殺す必要なかったのでは。叩きのめせば済んだのに。嵌められたって言ってるけど、そりゃ林冲が悪いだろ。巻き込まれた妻は本当に気の毒だけど、林冲にはあまり同情できない。

第二話ではそれ以上のモヤっとポイントが。宋江が人の命の大事さを力説した後の場面で、林冲一人を助けるために大勢の護送兵を殺しまくり。余裕そうに戦っているところもまた腹立つ。自分の方が圧倒的に強ければ相手が死なない程度に手心を加えることも出来るはずだが、そんな気は全くなさそう。林冲や朱貴の妻の命は守るべき命だが、護送兵の命はいくら殺しても構わない、取るに足らない命だってこと? 
なお、原作だとここでは戦ってもいないらしい。だったらそこは踏襲してくれ。アクションシーン増やすために無駄に人を殺させないで。

第三話でもまた林冲が脱獄のために大量殺戮。一番ひどかったのが、刺客を生きたまま燃やしたところ。一番苦しむ殺し方をわざわざ。これ、敵サイドがやるならわかるけど、作中で好意的に見られているらしき人物にやらせるのか。刺客なんて好き好んでやる人はほとんどいなくて、大概は社会的弱者がやらされてるんだろうに。この描写は原作通りなんだろうか。
しかも林冲は他の面々と違って元々禁軍の兵士だったから、かつての仲間たちを殺してるってことだよな。なんだかな。人気キャラらしいけど一番好きになれない。

官軍と戦う話だったら、相手が遥かに強い兵器を持っていてこちらを蹂躙してきて、味方側は弱い装備ながらなんとか工夫を凝らして、っていう方が主人公サイドを応援できる。この話の場合、主人公サイドが強力な兵器(異常に強い人間)を持っていて相手を蹂躙している。味方側は誰も死なないどころか傷一つ負わない。これじゃただの虐殺にしか見えない。
だから林冲奪還作戦なんかではむしろ護送兵の方に感情移入して辛くなってしまった。かれら命令に従って護送してるだけで何も悪くないのに。味方補正なしで客観的に見たら晁蓋たちのほうが悪者じゃないか。こういうのが「勧善懲悪」に見える人がいたとしたら、その人と私は決定的に価値観が合わない。

ちなみに、私はチャンバラ時代劇で主人公が敵の手下を皆殺しにする描写が嫌いだ。この典型が『三匹が斬る』だと思う。だから権力に物を言わせて解決している感はあっても『水戸黄門』の方が好きだったな。基本的に人を殺さないから。
戦国物大河などは普通に見られるし、強者同士の一対一の戦いでどちらかが死ぬのも別に構わないのだが、大勢のモブ兵士がなんの尊厳もなく主人公サイドに殺されていくのはキツい。人の死が痛々しいものではなくて爽快なものみたいに扱われていて、主人公側のカッコ良さを演出するための道具みたいになっているところが嫌で。

これなら下手に大義がどうだとか言ってヒーロー面してないで、いっそもっと振り切って悪者やってくれた方がまだ「そういうもの」として受け入れられた。人肉饅頭なんかも入れて。
特に罪悪感もなく必要以上に人を殺しまくっているような連中が「自分は世のため人のために行動しています、正義の味方です」みたいな顔してる方が無理。

ここまでして政府に反抗しなければならない理由があまり伝わってこないのも、共感できない理由かな。虐げられている民衆の姿が第一話以外ではあまり見えてこないし、主人公たちが直接民衆を助けている描写も特にない。宋江は下っ端であっても役人なんだから、内側から変えていくことを目指せばいいじゃないか、と思ってしまう。政府の腐敗の描写は映画『長安のライチ』のほうがずっと上手かった。
晁蓋は大きな戦が起こって国が滅びることを期待しているみたいだけど、そうしたらもっと大勢の人間が死ぬ。特に立場の弱い人間ほど犠牲になる。そうまでして守りたいものってなんだろう。これが民衆のためになるとは思えないのだが。新しい国になったとして、その国がまともである保証もないし。

政府に反抗すること自体が悪いと思っているわけではない。私は国家権力が好きな人間では全くないし、暴力全否定派でもないので。
例えば植民地支配からの解放のための戦いだったら、必要なときもあると思う。アルジェリアはそうやってフランスからの独立を勝ち取ったわけだし。それにチェ・ゲバラも結構好き。
ただ晁蓋らのやり方は人の命を粗末に扱っているだけで何か違うと感じる。北方版の宋江と晁蓋はカストロとチェ・ゲバラのイメージ、と聞いていたのだが、晁蓋にチェ・ゲバラっぽさは感じなかったな。

 

その他に気になったこと。

中国語をかじっている人間としては、名前の読み方が思いっきり日本語読みなことに違和感がある。宋江はソウコウじゃなくてソンジャンだろ。

日本人キャストで中国の話をやるっていうのも、ちょっと不思議な感じ。舞台慣れしてる俳優だったらあまり気にならないのかな。舞台なら違う人種の役も当たり前にやるし、中国人なら見た目は一緒だからな。日台ハーフで中国語ペラペラの朝井大智もキャスティングされているみたいだけど、出番は少なそう。

これ中国の人が見たらどう感じるんだろう。中国ドラマは金かかっててスケールが大きいから、それと比べてしまうと分が悪いような。日本のドラマとしてはすごい制作費がかかっている方なんだろうが。
いっそアニメにしたら良かったんじゃないだろうか。メインキャラとモブキャラの戦闘能力の差にリアリティがないから、むしろそっちのほうが合いそうだし、制作費も抑えられそう。それにアニメなら舞台が外国でも特に違和感はない。

このドラマを見ていたら、なぜか金庸の『射鵰英雄伝』が無性に読みたくなった。中国人の書いたガチ中華物を浴びたい。金庸作品は前に『笑傲江湖』を読んだことがあり、面白くて夢中になったので『射鵰英雄伝』もきっと楽しめる。長いな、と思って躊躇してたけど、北方謙三の『水滸伝』に比べればずっと短い。
北方謙三は私には合わなそうな気がするから、多分読まないかな。クソ長いし。何より女性の活躍が少なそうだし。