場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

ホロコースト被害の語られ方に関するモヤモヤ

まず大前提として、ホロコーストの否定や正当化は論外だ。痛ましい事件だったことも間違いない。だけど、ホロコーストの被害が語られるとき、その語られ方などにモヤモヤしてしまうことが多い。

一番気になるのは、ユダヤ人だけが被害に遭ったかのように語られることが多い点。ロマや、性的マイノリティ、傷害を持った方々などもナチスによって虐殺されている。被害者の半数近くはユダヤ人以外の人たちだった。それなのに。
「ホロコースト」はユダヤの用語であってユダヤ人の被害のことだけを指しているので、他の被害のことが語られないのは当然だという理屈もある。でもその理屈に従うなら、ナチスによる被害の中で「ホロコースト」のことばかりが語られるのはおかしいと言わざるを得ない。だったら「ホロコースト」ではなく、「ナチスによる虐殺」とか「ナチスによるジェノサイド」とか、もっと包括的な言葉の方がメインになるべきじゃないのか。

二つ目は、背後にあるイスラエルの存在。ホロコーストがこれだけ有名になっているのは、イスラエルという経済力のある国家及びシオニストたちの盛んな宣伝の効果でもある。そしてイスラエルやシオニストたちはロマなどの被害をユダヤ人の被害と同列に扱うことを拒否してきた。だからユダヤ人だけが被害に遭ったようなイメージが出来てしまった。
当初、シオニストたちはパレスチナに移住せず元の国にとどまって殺されたユダヤ人たちに対して冷淡だった。しかしかれらに対する同情が集まり、利用価値があると判断したため宣伝に用いるようになった。その被害の歴史は反イスラエルの声を封じるために使われてきた。心あるユダヤ人の被害者たちが、自分たちの被害がこうして利用されることに心を痛めて抗議声明を出したこともあった。

三つ目の気になる点は、イスラエルとは関係なく日本人のこの事件への向き合い方。南京大虐殺や所謂「従軍慰安婦」については関心が薄いのにホロコーストのことだけは関心を持つ日本人が少なくないこと。
高須克弥がネット上で「南京もアウシュビッツも捏造だと思う」という発言をしたとき、大きな批判を受けた。主に「アウシュビッツ」の方で。それに比べて「南京」否定発言への批判の声は日本ではずっと小さく、「南京」を無視して「アウシュビッツ」の方だけ記事に取り上げられることも少なくなかった。
アウシュビッツを否定するなんてもちろん言語道断だけど、日本人の立場からすると「南京」発言の方をより問題にしなければならないはず。自国が関わっていた戦争犯罪なんだから。そもそも高須はそれ以前からよく知られた歴史修正主義者で、日帝を正当化する発言を度々している。それなのに「アウシュビッツ」否定発言のときだけ大きく燃え上がった。それはおかしい。

ちなみに、このとき高須はサイモン・ウィーゼンタール・センター(以下SWC)に批判され、「リベラル」も嬉々としてこの団体の言葉を取り上げていた。だけどSWCがシオニスト団体だということは知っておいてほしい。左派・リベラル派でSWCがまともな人権団体だと思っている人もいるようだが、その認識は大間違いだ。
ユダヤ人差別は許さないがムスリム差別は平気でする。ユダヤ人の被害には怒ってもパレスチナ人の虐殺・抑圧には積極的に荷担する。そんな反人権のクソダブスタ団体がSWC。高須もSWCもどっちも同じようにクソである。敵の敵は味方なんかじゃない。

ドラマ『会社員』初回の感想とパワハラの話

主人公を全く好感の持てない人物にするという思い切った作りなのが面白かった。

ミステリーではあるけど、パワハラ問題についてなど、伝えたいメッセージがあって作っているのかなという印象。
だから「今は弱い立場の人がしっかり意見を言えるいい時代になった」と言っていて、割と良心的な人物に見える主人公の夫や、パワハラ被害を訴えた寺田が実は裏で何か良からぬことを企んでいる、みたいな展開にはならないだろう。そういう展開にすると大事な前提条件が覆ってメッセージ性が薄れてしまうので。

部下にパワハラの相談を受けたときの主人公・宮木の対応、ひどかったな。お手本のような駄目な言動のオンパレード。
・今は大事な時期なのに告発で大ごとにしたいのか、と脅す
・はいかいいえで答えろ、と詰める
・自分に非がなかったと言い切れるか、と問い詰める
・隠れて残業していた件を責める。これは残業させてしまった管理者の責任では。
・肩ポン
・さらに自宅にまで突撃
パワハラの相談をした相手に更にパワハラをするという二重パワハラ。でもこの主人公自身も過去にパワハラを受けていたことがわかるので、それもやるせない。

宮木は優秀な設定の割にやってることが馬鹿すぎる、リアリティないというツッコミを入れている人もいるが、私はそんなことないと思う。
宮木は優秀さというよりは仕事に全てを捧げてきたことが評価されて上に上がってきたタイプなんじゃないだろうか。冒頭の描写をよく見ると朝5時半に出社しているし、常務との会話でも会社への忠誠心アピールがすごかった。割と体育会系な企業体質なのでは。
私が昔働いていた会社でも、それほど仕事が出来るわけでもないけどとにかく休まないことを評価されて出世した女性、実際にいたので。

そしてこの宮木を追い詰める斉藤。宮木のやっていることはもちろん悪いのだが、斉藤もちょっとどうかと思うところはある。
言ってることは大体正しいんだけど、こうすることで自分のなんらかの鬱憤を晴らそうとしているだけのような。被害者である寺田の気持ちは置いてけぼり。当事者の二人(寺田と山岸)が蚊帳の外に置かれて、違う二人がバチバチしているという不思議な構図になっている。

斉藤は脅迫した犯人であることはわかったけど、まだ謎だらけ。「はいかいいえで答えて」という主人公の口癖をどうして知ったのか。寺田の家をなぜ知っているのか。そもそも寺田とはどういう関係なのか。交際している、というのではなさそうだが。

途中で寺田が受付嬢と付き合っていた、という話が出てきたけど、あれはなんだったんだろう。今も付き合っているならわかるけど、別れた彼女の情報って必要か?別れた理由も今後のなんらかの展開に関わってくるとか?

あと気になったのは、公式サイトの相関図では寺田が山岸を尊敬していることになっているところ。全然そうは見えないんだが。
かつては本当に尊敬していたとか? パワハラ相談のとき、なにか言いかけてやめていたし、この二人の間にまだ明かされていない何かがあるのかもしれない。山岸も実は何か抱えていたら面白い。それでパワハラがチャラにはならんけど。


最後に余談。ドラマでパワハラと言えば。

『VIVANT』の福澤克雄監督がパワハラしていた、というニュースが出たとき、擁護する人間が大量発生したことを思い出した。
いいものを生み出している人だから、優秀だから、能力のない人間が足を引っ張るなと。今時の若い奴は我慢が足りない、いちいちパワハラ認定していたらいいものが作れなくなるとか。このドラマで見たのと同じようなロジックも多数。

こんなふうにパワハラ加害者が世間から擁護されて逆に被害を訴えたほうが叩かれることはよくある。どうしてこうなってしまうんだろう。多分半数以上の人はなんらかのパワハラを受けた経験があるだろうと思われるので、被害者の気持ちはわからないこともないはずなのだが。自分は我慢したからこそ、黙って耐えない人間が許せないのか?

『VIVANT』とかいう日本スゴイ系ドラマ

プロパガンダドラマの側面

『VIVANT』のプロパガンダドラマっぷりが今さら話題になっている。一期は良かったのに、二期に入ってからおかしくなったと言ってる人もいるが、「一期からそうだっただろ、気づかなかったのかよ」と言いたくなってしまう。
第一期でも、八百万の神がどうだかで日本人は寛容だとか、そんなこと言ってたらしいじゃないか。そして、ロケに協力してくれたモンゴルに対する見下しも感じられる描き方。エドワード・サイードが指摘した「オリエンタリズム」的な。一応モンゴルではなく「バルカ」という架空の国ということになってはいるらしいが。

第一期と二期で変わったことと言えば、国名が架空のものではなく実際のものを使うようになり、しかもはっきりと中国を敵国として描いているようなところか。たしかにわかりやすく敵意を煽るようになったとは言えるが、『VIVANT』がナショナリズム全開なのは前からずっとそう。

ちなみに、私は『VIVANT』を一話も見たことがない。ただ、ドラマは割と好きで情報を集めたりはしているので自然にいろいろと耳に入ってきて、これはひどい、と思った。
見てないのに文句つけんな、と言われるかもしれないけど、見た上で文句つけたところで、今度は「嫌なら見るな」ってなるだろうし。なので、「嫌だから見ない」という選択をしている。


抗日ドラマについて

『VIVANT』のナショナリズムについて中国などの抗日ドラマと同列に扱う人も少なくない。右翼層だけでなく「リベラル」にも。こういうのを見ると本当にゲンナリする。
日本は中国・韓国をはじめとする他国に実際に侵略した。侵略された側は甚大な被害を被った。それも比較的最近。
抗日ドラマの敵は「日本」ではなく「大日本帝国」だし、現在ではなく過去の話だ。現在の中国を敵認定しているのとはわけが違う。抗日ドラマに対するこうした目線には日本人の傲慢と加害の歴史に対する無自覚・無反省ぶりがよくあらわれていると思う。

ついでに書くと、同じスパイものである『007』と『VIVANT』とを同列に扱うのは問題ないと私は思っている。『007』ファンは怒るかもしれないが。
『007』はもっと巧妙に作られていてイギリス人以外も楽しんで見ているが、国のための人殺しに肯定的なプロパガンダ作品という本質はどちらも変わらないので。


クオリティの問題

プロパガンダ云々は脇に置いたとしても、『VIVANT』ってスケールが大きいだけで脚本のクオリティは今ひとつなんじゃないだろうか。

聞いたストーリーのイメージをつなぎ合わせると、荒唐無稽、厨二、なろう系、俺TUEE系みたいな感じ。まともに論評するのもアホらしくなるくらいかもしれない。こんなものが社会現象みたいになったり、ドラマ好きがこぞって称賛しているみたいな状況は、少し悲しくはなる。私も一応ドラマは割と好きなので。

今までの日本のドラマにないスケール感が受けているんだろうけど、私だったらスケールの大きいものが見たかったら中国ドラマを見る。私が日本のドラマに期待しているのはそこじゃないので。ドラマを面白くするのはスケールの大きさでもなく豪華俳優陣でもなく、脚本と演出だと思う。

日本のドラマの平均レベルがそんなに高くはないというのは否定できないのかもしれない。それでも、『VIVANT』よりいいものなんていくらでもあるだろう。つい最近見たものでいうと野木亜紀子脚本の『フェンス』とか、最高だったし。

映画『ヒンド・ラジャブの声』を観て「戦争は怖い」で終わらせないでほしい

映画『ヒンド・ラジャブの声』のことがテレビで取り上げられていて、それをたまたま見た。この映画を観たタレントが、とても心を動かされたようで、いろいろ語っていた。若干引っかかったのが、イスラエルという名前もパレスチナという名前も出さずに「この映画は戦争の恐ろしさを描いている」みたいなことを言っていたこと。少女や救急隊員たちを殺したのはイスラエルで、そこを曖昧にしてしまったら話が始まらないのに、そのイスラエルという存在を透明化しているように思えたから。あんな一方的なものを「戦争」と呼んでいいのか、という問題もあるし。

どうして自分の土地で、救急車を出すのにこんな複雑な手続きが必要なのか。なぜ許可を出されて安全なはずの場所で救急隊員まで撃たれたのか。パレスチナ側は雁字搦めになっているのに、イスラエル側は自分に有利な約束すら簡単に破り、気分で人を殺す。何よりも恐ろしいのはこれは特別な事例ではなく、日常的に起きている事件のひとつに過ぎないこと。もちろん戦争は酷いものだけど、この映画に描かれているイスラエルによる占領システムの理不尽さを「戦争」という言葉で片付けてほしくない。

そのタレントは本当はそれ以上のことを色々考えていたけど、言葉が足りなかったもしれない。あるいは多くに人に観てもらえるように言葉を選んだのかもしれないけど、少なくともあのコメントから私が受けた印象はそんな感じ。
その人個人を責めたいわけじゃない。ただ、あのコメントを聞いて不安にはなった。パレスチナのことに元々関心を持っている層以外に、映画に込められたメッセージがちゃんと伝わるのか。ただ可哀想な女の子の話として消費されてしまわないか。

これが単なる「戦争」の話にされてしまうと、「イスラエルもハマースもやめろ、お前らが戦争なんかするからこういう小さい子供が犠牲になるんだ」みたいなどっちもどっち論に持っていかれる危険性がある。カウテール・ベン・ハニア監督のインタビュー記事なども見てもわかるけど、この映画を作った目的の一つにイスラエルを批判するというものも当然ある。

パレスチナのことには今まであまり関心がなかったけどこの映画に感銘を受けたという人がもしいたなら、ささやかでもいいのでなにかしてほしい。まずは知ることからでも。とりあえず、ネットで検索するとカウテール・ベン・ハニア監督のインタビュー記事がいくつも見られるので、読んでみてほしい。映画で描かれている現実がひどいものだと思ったなら、出来る範囲でイスラエル関連の不買も。完璧にやろうとするとパンクするので、無理のない範囲で。

hanatarebien.hatenablog.com

小劇場演劇が好きだ、という話

経済力の問題もあり、行くのは年に数回くらいだけど、私は舞台を観るのが好きだ。主に小劇場系の。

 子供の頃は学校で時々観劇に行かされた。高校生の時は劇団四季の『ライオン・キング』にも。多分ミュージカル好きならたまらない演目だろう。でもそれには特に心を動かされず、10代、20代では観劇好きにはならなかった。

それが変わったのは比較的最近。2023年2月に名取事務所の『占領の囚人たち』という舞台を見てから。
私はパレスチナのことに関心があり、ネットで色々と情報収集していたところ、パレスチナ人の囚人を扱った舞台をやっていることを知った。それで、当時は舞台を観に行ったことはほとんどなかったけど、興味のある題材なので思い切って行ってみた。
席は前から2番目で演者がとても近かった。S席でもないのに(小劇場系は大概はどの席でも値段が一緒だからそもそもS席とかない)。とにかく臨場感と迫力がすごくて衝撃を受けた。
ちなみに、2023年10月7日以降にパレスチナへの注目度が上がったことでこの舞台への関心も高まり、各地で映像が上映されたりもしていたらしい。

その後、入管の問題を扱ったTRASHMASTERSの『入管収容所』を配信で見たり、流山児★事務所のOKINAWA二部作(『キムンウタリOKINAWA1945』『OKINAWA1972』)を観たりして、舞台の面白さに目覚めていった。
OKINAWA二部作、特に『OKINAWA1972』には本当に惹き込まれた。『OKINAWA1972』はアクションシーンが多めだったことも良かったのかもしれない。『キムンウタリOKINAWA1945』『OKINAWA1972』と同じ日に続けて観たんだけど、同じ役者が全然違う役で両方に出演していたりするのも面白かった。知らない役者ばかりだったけど、そんなことは全く気にならなかったし、みんな上手かった。

一番最近で感銘を受けた舞台は『長生炭鉱—生きたかった』。前から3番目くらいの席に座れて、演出と近さの相乗効果で臨場感もばっちりだった。この舞台が読売演劇大賞の作品賞と演出家賞にノミネートされたみたいで嬉しい。キャパの少ない劇場で、一般的に有名な役者が(多分)出ていなくても、良いものはちゃんと評価されるんだ、と思って。演出家が有名な人なのかもしれないけど。

舞台を観に行くようになってから覆されたイメージは、舞台の観客は女性が多い、というもの。『占領の囚人たち』を観に行ったとき、男性客の割合の多さに驚いた。私が観に行く小劇場系の舞台はいつも大体男女比半々くらい。舞台に女性客が多いというのは私に限らず多くの人が抱いているイメージではないかと思うのだが、こういう傾向があるのは実際はミュージカルか2.5次元舞台などに限った話なのかもしれない。

私が思う小劇場演劇の良いところは、テレビや映画、それに多分大劇場の演劇でもなかなかやらないテーマを扱ってくれる劇団があること。
パレスチナ人の苦境、入管問題、関東大震災の際の朝鮮人虐殺、沖縄基地問題、長生炭鉱など、社会派で攻めたテーマ。そして劇場がコンパクトなぶん舞台との距離が近い。特に前の方の席に当たると、生の舞台ならではの良さを充分に堪能できる。

それにチケット代が比較的手頃。有名な役者が複数出ていたり劇場が大きかったり定番ミュージカルだったりすると最低でも8,000円はかかるし、そのくらいならマシな方で、1万円くらいは平気で超えることも多い。それに対して、私が普段行くような舞台は4,000~6,000円くらい。どの席もお値段均一。私の感覚だとギリギリ出せる程度。この値段で一番前の特等席だったこともある。

テレビでお馴染みの役者が見たい、という人には向かないけど、私は知っている俳優かどうかにこだわりはないので無問題。ただし演技力はそれなりに欲しいと思っているのだが、この点で引っかかった(下手だと思う役者がいた)こともあまりない。一般的知名度があまり高くなくても上手い俳優はたくさんいる。逆も然り。
それに、何度も舞台に通っていれば知っている顔も増えてはくるだろう。私はまだそこまで通えていないけれども。 

尊王リベラルの愛子天皇待望論

「リベラル」が皇室典範の改正がどうのこうので騒いでいる。愛子が天皇になれないなんておかしいと熱弁していたり。養子問題に関するかれらの意見は血統主義丸出し。私は大変しらけた気持ちでこれを見ている。

なんでこの人たちは天皇制の是非そのものには踏み込もうとしないんだろう。普段人権が大事だの平等が大事だのと言ってるくせに。本当にがっかりする。

天皇制は身分制であって、生まれながらに高貴な人がいるというのを認めている制度だ。女性が天皇になれないのはおかしいと言うが、それ以前に、女性であろうが男性であろうがその家に生まれないと天皇にはなれない。
天皇や皇族の生活費は税金で賄われている。困っている人の生活保護はケチるくせに、天皇・皇族に対する出費は惜しまれない。かれらがニュースに出てくると、「◯◯様は◯◯されました」と最上級の敬語が使われる。どの局も例外なく。気持ち悪いことこの上ないのだが、これに疑問を持つ人は少ないようだ。
「リベラル」も愛子「様」愛子「様」って。普段平等問題について考えてます風のこと言っといてこれって、情けなくないのかな。

天皇制なんて打倒一択だろう。女がなれないとかクソどうでもいい。女性天皇が認められようが、天皇制が身分差別制度であるという根本問題は何も解決してないから。リーンインフェミニズムでしょうがこんなもん。

日本の天皇制が問題なら、イギリスやスウェーデンなどの王制どうなるの、って言う人も時々いる。
もちろん、私はこれらの国もしょうもないものを残している遅れた国だと思っている。自称先進国だけれども。そしてそれも廃止されてほしいとも願っている。
ただ、私は日本人なので外国の王政よりも日本の天皇制を優先的に話題に出す。王政はそっちの国の廃止論者に任せておけばいいので。

『夫婦別姓刑事』のトラブルのこと

ドラマ『夫婦別姓刑事』で佐藤二朗と橋本愛の間にトラブルがあったと週刊誌に報道され、そこから橋本愛が叩かれる事態に陥っている。叩いているのは主にネット右翼やミソジニスト。佐藤二朗を批判する人もいるが橋本愛叩きの方が多い。過去のことをいろいろあげつらったり、橋本愛のSNSにまで突撃してクソリプを飛ばしているらしい。

橋本愛は普段から平和や人権やフェミニズムに関する発信をしており、多分現政権を支持していない。それが気に入らなくて今回ここぞとばかりに叩いている人が大勢いるようだ。
芸能人が左派的発言をするとこんなに叩かれるんだ。そりゃみんな萎縮するよな。

野木亜紀子がTwitterで台本にない身体接触NGは別に珍しいことではない、と丁寧に説明していたが、それにもクソリプが。佐藤二朗のことも別に責めてないのに。文章をよく読んでいないんじゃなかろうか。リプするなら文章を隅から隅まで読んでから、というのが最低限の礼儀だと思うが。

佐藤二朗がパワハラ常習者だとかセクハラ野郎だとか言うつもりはない。普段どうなのか知らないし、今回問題にされているのはセクハラではないし。
ただ、ひとつだけわかっていることは、佐藤二朗が橋本愛の楽屋に乗り込んで「それなら役者をやめた方がいい」と言ったということ。これは佐藤二朗本人が書いているから事実だろう。で、この一件に関して言えば良くないことだしパワハラと取られても文句は言えないだろう。これを親切なアドバイスと取る人もいるようだけど、大分古い考えなんじゃなかろうか。
これがパワハラにあたるとしても松本や中居ほど悪質なことをしたわけではないし、これで俳優を辞めるようなことにならないといいな、とは思っている。私が問題だと思っているのは佐藤二朗本人よりも、佐藤二朗を応援している振りをして橋本愛を叩いている人たち。

佐藤二朗は大分変なのを味方につけてしまったと思う。人権もコンプラも軽視したい、生意気な女を黙らせたいという強い意志が感じられる人たち。そのほとんどは佐藤二朗のことが好きなわけでもなさそう。本人のイメージまで悪くなるし、これは佐藤二朗にとってもプラスにはならないんじゃないだろうか。

最後に余談。『夫婦別姓刑事』というタイトルについて、ドラマ開始前から結構な数のネット右翼が騒いでいたのを見た。夫婦別姓を推進するためのドラマじゃないか、けしからん、みたいに言って。
全然関係ないから。このドラマを企画したの秋元康だし、あの人がそんなこと考えてるわけないじゃないか。
この人たちは、橋本愛が「夫婦別姓が実現するまでは結婚しない」と過去に発言していたらしいことも非難しているようだけど、何が悪いんだろう。私も同じ発言したことあるが。
夫婦別姓制度が導入されたとしても、夫婦別姓を強制しているわけでは全くない。全員夫婦同姓を強制されている状態から夫婦別姓も選べるようにしましょうというだけ。お前が夫婦別姓にしたくなければしなきゃいい。夫婦同姓なんて日本の伝統でもなんでもないし、何が気に入らないのかさっぱりわからん。

生成AIについて思うこと

私は生成AIに対してあまり良い印象は持っていない。
 
一番気になっているのは電力の問題。生成AIの電力消費量は既存の諸々のシステムとは桁違いに多いらしい。
医療など必要なことで役立てるならそれは良いことだと思うのだが、自分で描けないから、あるいは描くのが面倒だからという理由で生成AIで絵を生成したりするのは本当につまらない電力の浪費でしかなくて、正直腹立たしい。

電力消費量の多さへの批判について、AIの絵は一瞬で生成できるので時間をかけて自分で描くより電力を使わないなどという反論? が出ているのを見て、あまりの分かっていなさに呆れてしまった。それともわざとボケているのだろうか。手元のパソコンあるいはタブレットなどだけ見ていればその通りだけど、大量の電力を消費しているのはデータセンターなのだが。

AI推進派のチームみらいはAIによる電力需要の拡大に対応するため、原子力を活用しようという主張をしているらしい。この党は最近支持を拡大しているが、私は警戒している。

電力の問題以外にも気になっていることはいろいろある。

生成AIは決して無から何かを生み出しているわけではなく、学習元が存在する。人の創作物のキメラを生成しているだけなので、著作権侵害にもなり得る。こんなもので自分で何かを創作したような気になってしまう人間が決して少なくはない数で存在するのが不思議だし不気味だ。学習元が存在しなければ何も作れないのに、学習元への敬意も無い人が多いようだし。

生成AIは簡単にクオリティの高い絵が作れる、と言う人も多い。が、生成AIで作られたもののクオリティが高いとは私は思えない。パッと見ではクオリティが高そうに見える、ならわかる。

例えば、AI絵にはわかりやすい特徴がある。一見すると綺麗に整ってはいるのだが、よく見るとどこか歪なのだ。このくらいの画力の人間なら当然持っているはずの「絵の全体を整える力」が無いというか。手の形が変だったり、同じ顔の人間がずらっと並んでいたり、遠近感がおかしかったり。
全部を判別できているわけではないだろうが、絵に詳しくない私でも「これは生成AIが描いた絵だな」とわかることがよくある。自分で絵を描く人ならなおさらこういう絵の歪さがよくわかるだろう。
change.org(署名サイト)の見出し画像に明らかに生成AIで描かれた絵を持ってきているのを見ることが多くなってきたけど、絶対やめた方がいいと思う。主張自体には賛成できても、生成AIの絵を使っていることに抵抗を感じて署名をためらう人はそれなりにいるだろう。少なくとも私はそう。
 
文章についても同じ。生成AIで作られたものは一見綺麗に整っているように見えるが、よく読むと違和感がある。無感情で無個性で、読んでいて本当につまらない文章。しれっともっともらしく嘘を書いてくることもよくあるし。そのまま出すな、せめて手直しくらいしろと思う。

AIの書いた文章が人間の書いた文章より上手く見える人もいるみたいだけど、多分そういう人は文章を読むのが好きじゃないんだろうな。ある程度整っているように見えるだけの文章だったら、文章を書く習慣がある人間は書こうと思えば書ける。でもそんな文章はつまらないから、敢えて少し崩した文体にしたりするんじゃないか。上手い人が書いた文章はちゃんと面白い。多くの人につまらない、味気ないと感じさせるような文章が上手い文章のわけがないだろう。
最近は、特にnoteで明らかに生成AI製の文章が増えたように感じる。読んでしまって途中でそれだと気付くと、時間返せと思う。初めからAIで書きましたって宣言しといてくれればいいのに。

こうやって生成AIに作らせたものをネット上で公開してる人って何が楽しくてやっているんだろう。金稼ぎ目的ならまあ、感心はしないがまだわかる。そうでない場合。
私がブログを書くのは吐き出したい感情があるからだ。絵を描く人や小説を描く人だったら、自分が生み出したものを見てもらいたくて公開するんじゃないんだろうか。自分で描いた、あるいは書いたわけでもないものを人に見せて何の意味があるんだろう。小説に関しては特にそう思う。
下手でもいいから自分で作った方が達成感も得られるのにな。続けていれば本人比で上達はするし、何より無駄な電力も使わなくて済む。

私と同じように生成AI製のものを見せられるのにうんざりしている人は多いだろう。一部の人が考えているほど生成AIは万能じゃないと思う。