場末の雑文置き場

好きなことを、好きなときに、好き勝手に書いている自己満ブログ。

イスラエルにはとことん甘い西側世界

イスラエルが先に攻撃を仕掛け、イランが反撃したらアメリカ、ドイツ、イギリス、フランスの首脳が一斉に非難した。イスラエルではなくイランの方を。イスラエルについては「自衛権」があるから正当化できるんだとか。めちゃくちゃな話だが、全く驚かない。今までもずっとそうだったから。
石破はアメリカや西ヨーロッパには追随せず明確にイスラエル側を非難した。その点についてはとても良かったと思う。

ネタニヤフは今回、イラクの核武装を阻止するために攻撃したのだと言う。イスラエルが核保有国だという事実を踏まえると、これがどんなにおかしな言い分かよく分かると思う。自分は核を持っていいがイランは駄目、ということで、しかもそれで支持を得られると思っているのがすごい。 

ユダヤ人の選民思想がイスラエルをここまで暴走させた、という人もいるけど私はそうは思わない。イスラエルのこの傲慢さはユダヤ人やユダヤ教の本質ではなく、西側から甘やかされ続けた結果だ。イスラエルという国がその地に元々いた人たちを押しのけて建国されてしまったのも、イスラエルがここまで増長したのも、欧米の責任が非常に大きい。もちろん日本の責任もあるが。
イスラエルは元々ヨーロッパ的な植民地主義思想に基づいて建国された国なので、ネタニヤフだけを責めてイスラエル自体の問題を問わないのはおかしい。そしてイスラエルだけを責めて背後にいる欧米、特にアメリカ、ドイツ、イギリスを免罪するのもおかしい。

人権が大事、と口では言っている欧米がここまでイスラエルに甘いのはなぜか。イスラエルが本質的にはヨーロッパの飛び地、言わば身内だからだ。「人権」は欧米及びそれに従順な人々にのみある、という隠れたルールがかれらの頭の中にはあるのだ。こうした二重基準について自覚があるのかどうかはわからないが。そして欧米以外の国の体制を非難するための便利な道具として使えるときのみ、それ以外の人々にも「人権」が発生する。
甘やかされているとはいえ、イスラエルがヨーロッパのどこかの国を攻撃したら激しく非難されることは想像に難くない。今擁護されているのは、被害者がかれらの仲間でないからだ。

イランはアメリカに特に敵視され、悪の枢軸呼ばわりされている国だ。イランが独裁的な国だからそうなった、と思っている人も多いだろうが、それは誤解だ。
そもそもアメリカが民主主義を大事にしているなんて大嘘で、アメリカは中東の政治に介入し、時には選挙で選ばれた都合の悪い政権を潰したりもしながら、自分に都合の良い独裁者を支援してきた。

イランもそうだった。今から70年ほど前、民主的に選ばれたイランのモサデグ政権が英米に潰された。石油の国有化を推し進めようとしていたりと、欧米に従順な存在ではなかったためだ。
それに代わってできたのが英米の傀儡であるパフレヴィー王朝。一部の特権階級だけが利益を享受し、反対する一般国民は激しく弾圧される独裁政権だった。この政権に対する国民の不満が爆発し、革命が起こってできたのが今の政権。だからアメリカやイスラエルの思い通りにはならず、目障りな存在なのだ。

アメリカに追随する日本のテレビ局もイランに対する悪いイメージを植え付けることに協力している。パフレヴィーの時代を美化するような言説を広めようとする動きまで見られる。この手には注意が必要だ。
今のイランにはもちろん悪い点もいろいろあるだろうが、悪い点ばかりが強調されすぎている。イランはずっとイスラエルの挑発を受けながらも抑制的に行動しているのに、そういった姿勢を評価する声もテレビや新聞上ではほぼ聞こえてこない。

ハリウッド映画も日本のメディアも、イランだけではなく、中東全体(ただしイスラエルを除く)とやイスラム教徒について悪いイメージをばらまいてきた。その結果、明らかにイスラエルが悪いと思われる事象もどっちもどっち、あるいは攻撃される側が悪いという感覚を持つ人が多くなってしまったんだろう。

SNSを見ていたら、この状況でイスラエルを「中東で一番マトモな国」と呼んでいる人を観測してしまった。「中東で一番イカれた国」の間違いだろ。イスラエルは中東で一番ヨーロッパ的な国なのは間違いないが、ヨーロッパ的=まとも、善では全くないので。いい加減、欧米に幻想を抱くのをやめたらいいのに。

ペットは奴隷に似ている

目次


ペット文化について

私はペットを飼うという行為についてあまり肯定的に見られない。だから自分も飼っていない。

ペットは奴隷に似ていると思う。幼い頃に親と引き離されて、金で売買されて、自分より体の大きい、よくわからん生き物と一緒に暮らすことになる。ケージは牢獄のようだし、そこから出られたとしても移動の自由はない。一生監禁状態。人間側はペットを選べても、ペットには選択権はない。

懐くことを期待されるのも、なんだか嫌な感じだなと思っている。懐かないから可愛くないとか期待外れだとか、何様だよ。生き物なんだから感情も個性もあるんだよ。思い通りになる物が欲しいなら、懐くようにプログラムされたロボットでも買っとけ。そもそもペットが期待通り懐いたとしても、その状態ってストックホルム症候群みたいなものなんじゃないだろうか。ペットにはその飼い主しか頼れる存在がいないわけだし。

例外はいろいろあるだろうとは思う。ペットが懐くことなんて全く期待してない人もいるだろうし、ケージは基本的に使わないという人もいる。それに、野生では生きていけない捨てられたペットを保護して飼っている人のことは私も悪くは思えないし。


ペットショップについて

生き物をお金で売買することは倫理的に問題があると思う人はそれなりにいて、ペットショップはなくすべきだ、という議論は以前からある。私もこれに賛成だ。

ペットを飼いたければ保護団体等から迎えよう、という意見に対して、保護団体の譲渡条件は厳しい、断られるからペットショップで買うのも仕方ないんだと言う人もいる。ペットショップよりお金がかからないからという理由だけで利用する人もいるだろうし、一度捨てられた子にまた嫌な思いをさせたくない保護団体が慎重になるのは当然なのでは? それに、断られるような条件の人はやっぱり適切な飼育環境を用意できない人である可能性が高いと思う。一人暮らしは駄目、っていうのも私は納得できる。生き物の面倒を見るということを軽く考えちゃいけないってことだと思う。  

保護動物は初心者向きじゃないから初めて飼う人はペットショップから迎えたほうがいい、というのも屁理屈だと思う。ペットショップにいる犬や猫ははほとんどが生後半年以内の子犬や子猫らしい。子犬・子猫は成体よりも手がかかるし、全く初心者向きではないんじゃないだろうか。

ペットショップがなくなったらいずれ供給も止まり、いずれペットを飼うことができなくなる、そうなったら困るという反論もある。保護活動をしている人がどう思ってるかは知らんが、私は飼えなくなるという状況がむしろ望ましいと思っている。最初に書いたようにペット文化反対派なので。

あとは、犬や猫を飼いたい人なら保護団体経由でいいかもしれないが、あまりペットにされていないような珍しい生き物を家族に迎えたい人にはどうしてもペットショップが必要なんだ、と言っている人も見たことがある。
それに対しては、そんな生き物をそもそも飼うな、の一言で済む。通常は野生で生活しているような珍しいペットを飼うなんて、私は犬猫をペットショップで買う以上に大反対だ。


野生動物のペット化問題

カワウソについては近年、個人が飼育すること自体不適切だという認識が広まりつつある。絶滅危惧種で、国際取引は基本禁止になった。販売されているカワウソがいたとしたら、密猟された個体である可能性が高いだろう。泳ぐスペースを含む広い場所が必要になるし、コツメカワウソは群れで生活する生き物なので、個人が適切な環境を用意することはほぼ不可能、といった理由で。

それは大変良いことだが、カワウソに限らずリス、モモンガ、フクロウ、ミーアキャットなどの家畜化されていない、野生で生きていける生き物を飼うのも本当にやめてほしい。森を飛び回る生き物であるモモンガをケージに閉じこめるな。群れで生活するミーアキャットを1匹で飼うな。フクロウの足を繋ぐな。本来の環境とはかけ離れた場所で飼育するなんて、それだけで虐待だ。本当にその生き物が好きなら、そんなことはできないはずなのに。

フクロウをペットにするのは多くの国で禁止されているが(近場で言えば中国でも韓国でも)、日本は規制がない。しかも日本は世界一のフクロウ輸入国なんだとか。コツメカワウソも日本での需要が特に多かったみたいだし、悪い意味で日本すごい。

そもそも、「可愛い」が「飼いたい」に直結する精神構造ってなんなんだろう。可愛いから所有したい、支配下に置きたいって。子供ならわかるけど、大人でそれは幼すぎる。

海外の野生動物の売買と飼育を、少なくとも愛玩目的の場合は全面禁止したほうがいいのでは。それでも密輸はあるかもしれないが、飼う人もこっそり飼うしかなくなる。SNSで見せびらすことはできなくなる。珍しい生き物は自己顕示欲で飼っている人も多いから、堂々と飼えないとなれば大分抑止につながりそう。


動物園や水族館について

動物園や水族館も私は好きじゃない。小学生ぐらいのときからずっと。人間の娯楽のために他の動物を閉じ込めて見世物にしているところが嫌で。過去の万博では人間が展示されていて、それはおかしいと今ではほとんどの人が思うようになったが、人間以外の生き物に対しては今でも平気で同じことが出来てしまうし、それに疑問を持つ人も少ないようだ。種の保存を大義名分に掲げているけど、反対する人間を黙らせるためにそうやって正当化しているだけにしか思えない。本質はただの娯楽施設だと思う。

この間、ちょっとした気の迷いで(中の売店が目当てで)20数年ぶりくらいに動物園に入ってしまったが、サルの一種?が狭い室内にたくさん押し込められていて、とても窮屈そうだった。こんなところはもう二度と行かない、と決意した。

それでも、動物園や水族館で飼育されるのは個人のペットよりはまだマシだとは思う。少しは広いし仲間もいる。環境も個人の家よりは整えられている。野生動物を個人がペットにするのはそれだけ(見世物小屋が大分マシに思えるくらい)残酷なことなので、飼っている人間は許しがたい。


畜産について

ペット文化に反対していると、じゃあ畜産はどうなるの、と必ず言われると思う。それについての私の考えを。

畜産は生きるために必要な食べるという行為のためにやっているものだから、単なる娯楽のためのペットと一緒にするのはおかしいと思う。ついでに言えば競馬も毛皮も絹も養殖真珠も単なる娯楽のためのものなので、私は反対。

ただし畜産を良いと思っているわけでもない。今よりなるべくマシな環境で飼育してほしいし、飼育頭数も減らしていってほしいとは思っている。人間は生命維持、健康維持に必要な量以上に肉を食べている傾向がある。それはやめるべき。肉食の習慣はもっと大幅に減らせるはず。まずはステーキ、焼き肉、とんかつ、唐揚げなどを食べるのを止めることから始めてみてはどうだろう。私はそうしている。


最後に:ぬいぐるみはいいぞ

好きな見た目の子を選びたい、子犬や子猫が欲しい、飼いやすいペットが欲しい。そういう人は特にペットではなくぬいぐるみがオススメ。
ぬいぐるみは年を取らない。うんこしない。噛まない。暴れない。病気にならない。あまりお世話しなくていい。カワウソでもライオンでもペンギンでも、好きな動物が選び放題。
ぬいぐるみは探せばリアルなのもある。リアルさ第一ならHANSA。リアルさと可愛らしいデフォルメを良い塩梅で両立させているものならカロラータ、吉徳、ケーセンなど。

ぬいぐるみだってブラッシングしたり、たまに洗ったりする程度のお世話はしたほうがいいけど、それでも生物に比べたら百分の一以下の手間でしかない。
何よりもいいのは丁寧に扱えばずっと一緒にいられることと、自分の所有欲のために他の生き物に迷惑をかけなくてすむこと。動いたほうがいいならロボットという選択肢だってある。

ぬいぐるみは子供っぽいと思われるかもしれないが、命あるものを可愛いから、珍しいから所有したいという思考のほうが本当はずっと幼いと思う。

シオニズムと映画の話

任天堂の人気ゲーム「ゼルダの伝説」の映画版がアヴィ・アラッド(Avi Arad)と組んで製作されるそうだ。このアヴィ・アラッドはイスラエルによる戦争犯罪を強固に支持している人物であるため、SNS上では批判も起こった。が、任天堂がこの人物の起用を止めようとする様子はない。任天堂は企業理念として人権を重要視しているらしいのだが、そんなのは口先ばっかりなんだろう。

そして多分、日本ではこのことを批判する人よりも全く気にもしていない人のほうが多数派なんだと思う。残念ながら。
ディズニーの実写版「白雪姫」のときもそうだった。この映画では継母役としてシオニストのガル・ガドットが起用されていたが、そのことに対する批判は少なかった。逆に主演のレイチェル・ゼグラーの「生意気さ」を非難し、ガル・ガドットを持ち上げる声の方が目立っていた。レイチェル・ゼグラーはガル・ガドットと共演しながら親パレスチナの立場を鮮明にした。その勇気に私は敬意を表する。

そしてアヴィ・アラッドやガル・ガドットの起用に対する擁護意見として多いのが「この人選は2023年10月以前から決まっていたんだからどうしようもない」というもの。
それがどうしたっていうんだろう。イスラエルによるパレスチナ人の虐殺・抑圧は最近になって始まったわけじゃない。1948年の建国時、あるいはそれよりも前からずっと続いているのに。映画版の「ワンダーウーマン」でガル・ガドットが主演していることだって、2017年の公開当時から批判していた人はいた。私も含め。


ガル・ガドットの擁護意見として他に時々見るのが、イスラエルに生まれた人がそうなるのは仕方ない、自分の国を愛するのは当たり前、というもの。
私はそもそも愛国心というものを肯定的に見ていないし、自分の国のすることを何でも肯定するのはとても危険なことだと思ってる。それがどんな国であろうが同じ。もちろん日本もそう。日本人は日本がアジアの多くの国を植民地支配して搾取したという事実にもっとちゃんと目を向けるべきだと思う。

他にも、イスラエル人は危険な目に遭っているのだ、安全な土地にいる日本人が軽々しくガル・ガドットを批判すべきではない、という擁護意見も見たことがある。パレスチナ人はイスラエル人の数十倍危険な目に遭っているし、その状況はイスラエルが作り出したのだが、そのことについてはどう思っているんだろうか。イスラエル人に対しては豊かな想像力を発揮して思いやるのに対し、パレスチナ人に対してはその想像力をまるで働かせないのはなぜだろう。パレスチナ人がずっと抑圧されてきたことは無視しておいて、抵抗を安易にテロ呼ばわりしたり。
ガル・ガドットは好きな俳優でパレスチナ人は顔も名前も知らない人たちだから、というのもあるだろう。あとは、イスラエル人は「文明人」で自分たちの仲間、パレスチナ人は得体のしれない人たち、という無意識の差別意識があるのかもしれない。

アヴィ・アラッドやガル・ガドットだけじゃなく、元々ハリウッドってシオニストだらけなんだよな。スピルバーグだってそうだし。ハリウッドは以前からせっせとイスラム教徒への偏見をばらまいていた。テロリストのイメージを植え付けたり。本当はハリウッド自体ボイコットしたほうがいいかもしれないくらいだと思う。

最後に、「ゼルダの伝説」の映画でのアヴィ・アラッド起用に反対する署名があるので、この問題が気になっていて、まだ署名していないという方は是非。

オンライン署名 · 任天堂は実写映画版「ゼルダの伝説」制作に虐殺加担者AviAradを起用するのをやめてください! - 日本 · Change.org

gooブログからの引っ越し

gooブログがサービス終了になってしまうということで、こちらに引っ越してきた。引っ越し先として推奨されていたのがAmebaブログとはてなブログで、ここは迷わずはてなブログを選択した。なんとなくはてなブログの空気のほうが自分には合いそうだし、最初にブログを開設するとき、gooブログにするかはてなブログにするか迷っていたくらいだったので。
結局gooブログを選んだのは、gooブログのほうが記事を書くのが簡単そうだったのと、当時よく見ていたブログがgooブログにあったから。久しぶりにそのブログを除いたら、Amebaブログのほうに移転したようだったけれども。

記事の移行とリダイレクトまでは順調に進んだ。最後の関門、内部リンクの修正がとても大変だった。一日がかりになってしまった。GW中で良かった。

gooブログに限らず、最近ブログサービスがどんどんサービス終了になっているようで、寂しい限り。各種SNSのほうがもっと気軽に投稿できるから、ってことなんだろう。ブログはオワコン、って何年も前から言われているし。

オワコンと言われようが、私はブログが好きだ。一時期Twitterをやってみたけど合わなくて、ブログに戻ってきた。誰をフォローして誰にフォローされてて、っていうのがわかりやすく可視化されるあの感じが私には少し窮屈で。ブログだと自分の部屋のような安心感がある。それに長文を書きたいし、後から自分の書いたものを読み返すのもブログのほうが便利。

Noteなら長文が書けるし、最近流行っているみたいだけど、引っ越し先として推奨されていなかったこともあり、今回はスルー。
引っ越しはそこそこ大変だったので、ここでは長く続けたい。はてなブログはサービス終了せずずっと続いてほしい。ブログ文化も消えないでほしい。

テロリストとはなにか

「テロリスト」とは字義通りならばテロ行為をする人のことだ。そして「テロリズム」とは広辞苑には「政治目的のために暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。」とある。しかし暗黙の別の基準が存在しているように思える。

子供の頃からずっと疑問だった。なぜパレスチナ人は「テロリスト」と呼ばれ、それ以上の暴力を振るっているイスラエルはそう呼ばれないのか。
去年イスラエル(モサド)が起こしたポケベル爆発テロも、かなりわかりやすいテロだったのに、日本の報道各社はこれをあらわすのに「テロ」という言葉を頑なに使わなかった。そもそもあまり大きく取り上げられなかった。

要するに、西側、特にアメリカから見て都合の悪い存在がテロリストだということなのだろう。だからアメリカやアメリカが支持するイスラエルは何をしてもテロリストとはされない。少なくとも日本メディアにおける扱いはこうだ。

逆に西側に都合の悪い人物は、時にはなんの暴力も振るっていなくても「テロリスト」にされる。例えばガッサーン・カナファーニーがそうだ。カナファーニーは作家で、パレスチナ人の苦難を伝える小説を残している。武力ではなくペンで戦っていた人だが、イスラエルにとっては邪魔な存在であったため、姪とともに爆殺された。イスラエルの「諜報機関」モサドによって。
ラシード・ハーリディーの「パレスチナ戦争」によれば、ニューヨークのパブリックシアターがカナファーニーの「ハイファに戻って」の上演権を獲得したが、劇場上層部の反対により上演できなかったという。理由はカナファーニーがテロリストと呼ばれているから。とても倒錯した奇妙な見方だ。カナファーニーはモサドのテロによって殺害された被害者なのに。

ところでこのモサドというのはイスラエルの組織で、外国まで行って暗殺を繰り返している。アメリカのCIAも同じ。どちらも「テロ」の定義に完璧に当てはまる組織なわけだが、これらの組織が「テロ組織」と呼ばれることはとても少ない。日本の報道ではまずないだろう。代わりに「諜報機関」と呼ばれている。

他に西側に「テロリスト」扱いされた代表的な人物といえば南アフリカのネルソン・マンデラがいる。アメリカはマンデラを2008年までテロリスト認定していた。マンデラが大統領になったのは1994年で、それから15年近くテロリスト扱いを続けていたことになる。

そもそも、植民地支配を受けている側(例えばパレスチナ人のような)の抵抗のための暴力を植民地支配をしている側の抑圧のための暴力と同じように扱うことがおかしいのだ。それなのに、逆に抑圧者側の暴力は無視するか当然視し、抵抗の暴力のみ非難する輩が少なくない。

かつて植民地支配を受けていた国々の多くは武力闘争によって独立を勝ち取ってきた。黙って耐えたままだったら今も独立は実現できていなかっただろうが、その方が良かったのだろうか。ガンディーは立派だったかもしれないが、占領の形態によっては同じようなやり方では通らないケースはいくらでもある。
被占領地の住民が武力を用いて抵抗することは、国際法でも認められている。占領者による暴力は、当然ながら認められていない。

日本は他国を侵略し、植民地にしてきた側の国だ。そして「西側」の国の大多数もそうだ。そんな国の人間に「とにかくどんな理由があろうと絶対に暴力に訴えてはならないのだ」と上から目線で抵抗者を非難する資格はないと思う。
「どんな理由があろうと暴力はいけない」と本当に心から思っているのなら、最低限、占領者側の暴力についても普段からきちんと批判してほしい。イスラエルによる抑圧と暴力は70年以上ずっと続いてきたのだから、その文脈を無視することは許されない。

hanatarebien.hatenablog.com

横浜DeNAベイスターズのバウアー投手獲得を歓迎しません

私は一応ベイスターズのファンで、去年日本一になったときは本当に嬉しかった。だけどバウアー獲得は本当にやめてほしいと思っている。

理由の一つは性的暴行疑惑。本人は否定しているが、一人ならまだしも複数人から訴えられたというのはかなり怪しい。そのうち一部が不起訴になっただけだし、和解=無実というわけでもないのだが、こういう事があるとすぐに美人局だのバウアーははめられただのと決めつけられてしまう。実際被害に遭っていても性犯罪の立証は難しいし、有名人で金持ってる(=優秀な弁護士を雇える、裁判で有利)男を訴えるなんて生半可な気持ちではできないと思うが。このこともあってバウアーはメジャーリーグではプレーできなくなったのに、日本は甘い。

そしてもう一つは日本で過失運転により2人を死なせて逮捕された米兵がアメリカの圧力で釈放されたときに「Welcome home」とコメントした件。アメリカでは不当逮捕だと報道されているからバウアーがそういう反応になるのも仕方ないとか擁護している人が多いが、なんだかな。アメリカでもこの米兵とその支持者たちを批判している人は少なからずいるようだし、公平な目を持っていたらおかしさに気付けるはず。日本でプレーしていたなら尚更。 
それでも謝ったり日本を愛してます、って言ったら許されてしまう。チョロすぎるだろ。アメリカの白人男性には本当に甘いな。だから舐められるんだろうな。

大体、バウアーがそうなってしまったのがアメリカの報道のせいだというなら、そこからアメリカという国に疑問や反感を抱いたりしそうなものだが、決してそういう方向には行かないのも不思議。

もちろんバウアーを批判していて、来てほしくないと言っている人もそれなりにいるけど、歓迎派のほうが数が多く声が大きい印象。日本のスポーツ界って人権意識低いよな。これ獲得したのがホークスか巨人だったら批判の声ももう少し大きかったのかな、と思うとそれも含めてなんだかな、って感じ。横浜ファンだけど。

スポーツ選手はイメージが重要な芸能人とは違う、バウアーがクズなのは分かっているがチームに貢献してくれればそれで良いという意見については、それはそれで筋が通っているとは思う。私は賛同しないけど。変に擁護する連中よりはずっとマシ。

私も東に関しては上記のスタンスで応援できる。東のやったことは悪いが、人に暴力を振るったわけではない。バウアーと同列扱いはさすがに違うだろ。バウアー義理堅いと褒めて上沢を叩く連中に至っては本当に意味がわからない。

私は来年こそ横浜に優勝してほしいと思っていたのだが、応援しにくくなってしまった。仮にバウアーのおかげで優勝できたとしても、あまり嬉しくないかな。勝ち負けはもちろん大事だけど、それより大事なものもある。球団には人権意識・コンプライアンス意識をもっと持ってほしい。

ドイツの現状から改めて考える2022FIFAワールドカップでのドイツチームのパフォーマンスの意味

現在、ドイツではイスラエルによる虐殺や占領に反対する人々に対して、警察による暴力も含む国家的な弾圧が加えられている。反ユダヤ主義を取り締まるという名目で。イスラエル問題に関しては、ドイツに言論の自由はない。

ドイツは最近になって急に変わったわけではなくて、昔からこうだったんだと思う。前はイスラエル問題に注目する人が今より少なかったので見えにくかっただけで。 

ドイツのことを考えていたら思い出したのが、2022年にカタールで開催されたFIFAワールドカップのこと。このとき、ドイツチームは日本戦の前に口を塞ぐパフォーマンスをした。これには多様性などを訴える腕章の着用を禁じたFIFAやカタールの同性愛禁止への抗議の意味合いがあったらしい。

このパフォーマンスは「リベラル」から絶賛されていた記憶があるが、私は「嫌な感じだな」と思っていた。同性愛禁止を肯定しているとか、政治的なものをスポーツに持ち込むなと思っているとか、そういうことではなくて。私はむしろアスリートはどんどん政治的発言も政治的パフォーマンスもしてほしいぐらいに思っているので。

私があれを不快に感じた理由は、カタールに対する上から目線を感じたから。自分たちのほうが道徳的に優れた民族あるいは国民であるという差別意識からくる優越感。それにイスラモフォビアも。同じように同性愛差別していたとしても、かれらは白人国家あるいはキリスト教徒国家ではああいったパフォーマンスはやらないであろうことは容易に想像できたので。

それにドイツにおけるパレスチナの扱いのことも念頭にあった。カタールでワールドカップが開かれたのが2022年11月20日。その半年前ほど前からドイツはナクバの日の記念デモやイスラエルに殺されたシリーン・アブ・アクレ記者の追悼デモの禁止などをしていた。
ワールドカップがドイツ開催だったら、多様性などを訴える腕章の着用はできたかもしれないが、カタール開催の場合とは違ってパレスチナ旗を掲げることは許されなかっただろう。そうした自国の現状には抗議せず、カタールでだけああしたパフォーマンスをやるなら、西側国家の傲慢でしかない。

ドイツとは話が離れてしまうが、イギリスのロックバンド、The 1975が2023年のマレーシアでの公演で同性とキスするパフォーマンスをしたときにも同じような傲慢さを感じた。これはマレーシアでの同性愛禁止に抗議するという名目だったらしく、例によって称賛する「リベラル」が少なからずいた。

ちなみにThe 1975のボーカル、マシュー・ヒーリーはその前にも人種差別的発言が問題になった人物らしい。とても納得。あのパフォーマンスには「お前たち遅れたアジア人を白人様である俺達が正してやる」みたいな意識が透けて見えるので。
イギリスはマレーシアを植民地支配していた国で、同性愛禁止法をマレーシアに持ち込んだのもイギリス。それが分かっていれば、あんなパフォーマンスをすることも、それを称賛することもできないはずだ。

女性の権利もこうやって他国(特にイスラム教徒が多数を占める国家)にマウントを取るための道具としてしばしば使われている。女性差別をするな。セクシャルマイノリティを弾圧するな。それ自体は完全に正しい。だからこそ厄介だ。

フェミニズムを利用して排外主義的な主張をすることを指す言葉として「フェモナショナリズム」というものがある。特にイスラム教徒はその標的になりやすい。
差別反対のポーズを取りながら別の差別をする。これはフェミニストを名乗るトランス差別者にも見られる現象だ。そしてユダヤ人差別反対を名目にイスラエルへの抗議を取り締まる国もある。ドイツのように。こういうのはただ差別をするだけよりも厄介で悪質だと思う。